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人にとって作物とは?植物の存在とは?めぐり合わせで果樹栽培を営むことになった信州のとある農業者が思うこと
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場所はこのままで、ブログタイトルおよびテンプレ変えました。
旧タイトルが思いつきだったので、少し考えてみるのも良いかと。
内容も若干変わるかもしれません。

新タイトルの元ネタは一部の友人にはバレバレでしょう。
今回のことでちょっとググってみたらこんなページを見つけました。
遅いっちゃぁ遅いんですが、この偶然は何。
一緒に行きましょー!なんてノリで友が誘ったら勢いで行ってしまいそうです。
でもたぶん誘ってこないだろうし、それを待ったり誘ったりの情熱もない。
ただ、あの頃の曲をあのメンバで、と知ってちょっと驚いた。
何かの拍子で行ってみちゃう?そんな気持ちが生まれたりして。
そんなこと今はわからないけれど、縁があれば確認したいですね。
彼の、今の音楽を。
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ただいまテンプレートおよびもろもろを変更中。
お見苦しい点がございますがご容赦ください。
初めて行った鹿児島はまずまず暖かかった。
しかし団体旅行はやはり疲れますね。
自分で計画する旅行とは全然違って下調べもろくにしないし
すべてお任せなのもどうかなと思う。
パッケージツアーは当分遠慮したい気分です。


▼フェリーで着いた志布志(しぶし)にあった看板。早口言葉になりそうだ。
1206.jpg


▼薩摩半島最南端「長崎鼻」から見た開聞岳。美しい。
1207a.jpg


▼待望、3年ぶり、復活!見てみたかった。
1207b.jpg


▼空港近くの焼酎工場の入り口。土産を買わされる場所。
1207c.jpg



いろいろ行ったけれど、写真を撮れなかった場所がある。
知覧の特攻平和会館
戦争末期、特攻部隊の基地があった場所。

撮れなかったのは館内が撮影禁止だからではない。
悲しい歴史のある町は、あちこちに慰霊の灯籠が立っていた。
お茶の産地でもあり、緑豊かなのどかな場所だった。

特攻隊として命を落とした人たちを始め
戦争で亡くなった人の中には、世の中のため、未来のために、と
強く願って戦争に行った人も多かっただろう。

そんな人たちに、今
恥ずかしくない生き方をしているだろうか。
その想いに報いることができているだろうか。

そんなことを思った。

いつかまた鹿児島を訪れたら、この場所だけは
もっと時間を割いて過ごしてみたい。
灰で口の中がジャリジャリ(^-^;

桜島は正式には桜島山という。


 
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管理人(ハナイ)
長野県須坂市に住む。夫と共に果樹の世話をして収穫して出荷・販売することが仕事。栽培品目はもも・プルーン・りんご・ぶどう・アスパラガス。趣味はMac、写真、庭に訪れるレア度の低い野鳥の観察、CSで撮りためた日本映画を夫と観ること。仕事以外はわりとインドアである。
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